「田中角栄の日中国交正常化の決断」・・・田中角栄回想録より早坂茂三
田中角栄が「日中をやる」と決断したのは、政権の座に就く五ヶ月も前のことであり、この事実は自民党内でさえ、ほとんど知られてなかった。
昭和47年7月6日に田中内閣が成立し、9月27日には日中国交正常化をスピード成立させたのは、当時の田中角栄の信念・党内指導力・決断力によるところが大きかった。
田中は当時このように語っていたようだ。
「日中を断行する。オレにしても今が一番力の強い時だ。党内は台湾派が多くて厄介だが、命がけでやればできる。オレの力が弱まれば、それもできない。相手にしても毛沢東、周恩来は死線を何十回も越えてきた創業者だ。その点で信用でき、話もつけられる。だから、毛周の目玉の黒いうちに、一気にやるんだ」
早坂氏はさらに、外交にとって重要なのはタイミングであり、1年後に第四次中東戦争・オイルショックの混乱が起きた中ではいかに豪腕の田中でも、1年もじっくり正常化に時間を掛けていたら、成就させるのは不可能であったと綴っている。
会社経営においても、会社の勢いのあるうちに、次の為の大きな投資や決断をしなければ、そのうちに自分の会社にハプニングが起こったり、交渉相手の状況が変われば、交渉が困難になるものなので、やはりその時々の決断のタイミングは大切である。
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